HSPは遺伝?父が遺してくれたもの

父の死に際に立ち会えました

先日、5月のスケジュールを投稿した際、父が危篤状態だと書きましたが、5月3日、家族全員が見守る中で静かに息を引き取りました。
6年間、介護施設に入所していた父。3日の朝8時半頃、看護師さんから「いよいよ死期が近づいている」と電話がありました。名古屋で就職中の娘も2日夜に帰ってきており、私たち家族・母・兄家族と皆タイミングよく集まることができました。

私たちが到着した時、父はまだ微かに呼吸していました。瘦せ細った父の姿。10日以上も水分や栄養を摂らず、血管も硬くて点滴の針を刺すこともできなかったからです。私たちはそんな父の手足を交代でさすり、「ありがとう」と声をかけました。五感のうち、死ぬ直前まで残るのは聴覚だと言われています。時折、私たちの声に反応し、何かを伝えたいように顔を動かしてくれました。

私はヨガの終盤くつろぎのポーズ(屍のポーズとも呼ばれます)で使用している音叉とアロマオイルを持参していました。音叉の周波数は4096Hz。癒しの効果があると言われています。父の最期が心地よいものであるように、酸素マスクにアロマオイルを少量塗り、耳元で優しく音叉を鳴らしてみました。父は確かに反応し、表情は穏やかに見えました。
さぁここからいつ旅立つかはわかりません。とりあえずお茶でも飲もうと、買いに行く準備をしていた時、父の呼吸が乱れ始めました。いわゆる死の直前に見られる「下顎呼吸」というやつです。顎を上下に動かすような呼吸を数回繰り返し、次の息を吸った直後に動きが止まりました。とうとう父は旅立ったのです。

人が生まれる瞬間と死ぬ瞬間、どちらに立ち会えることが多いのか?
そう考えると、明らかにコントロールができない死ぬ瞬間に立ち会えるのはとても貴重な経験です。娘や高校生の息子にとっても、この日のことは一生忘れないでしょう。

ネットで購入した音叉。水晶で響かせます

戒名で仏の弟子入り

大往生なので、カラッとしたお別れです。皆、悲しみに暮れるというわけでもなく、無事に天国に旅立てて良かったという思いの方が強くありました。さぁここからはやる事がいっぱい!死亡診断のため医師が到着するまでの間、葬儀場やお坊さんに連絡したり、施設内の荷物を整理したり。当日中に父の亡骸が実家に帰り、翌日は葬儀場で湯灌とお通夜、そして5日のお葬式まであっという間に日が過ぎていきました。

お坊さんは、私の祖父母死去の頃よりお世話になっているお寺さんです。現住職は自分が結婚する際に、父が一早くお祝いを持ってお寺に来てくれたことが嬉しかった、と話してくれました。気遣いに優れていた父らしいエピソード!このご住職にお経を上げてもらい父も喜んでいると思います。また戒名も、普段は温厚で教師をしていた父らしく、「温」「教」の字を入れて下さりました。まさに父の人生を表す名!
実家は曹洞宗であり、通夜までは故人の名前が用いられますが、葬儀では戒名が使われ、亡くなった人が仏さんの元で修行を始める最初の日を意味するようです。湯灌が終わり、白装束に身を包んだ父。10日間も俗世間のものを摂取せず、断食を終えた修行僧のような立派な姿でした。戒名の方がぴったりで、私が知っている優しくて面白い父ではなくなっていました。私が印象に残っている父のエピソードは、幼い私が一人で寝るのを怖がっていたら「オバケさんと友達になればいいよ」と教えてくれたこと。戦うでも逃げるでもなく、こんな考え方もあるんだ!と幼心に響きました。
戒名のつけ方は宗派によっても違うかもしれませんが、私もこの世を去った後に恥ずかしくないようなエピソードや生き方が語られるようにしたいと思いました。

亡くなる一か月ほど前に行った最後のお花見。たぶんもう視力もほとんどないような表情をしてました。

鞍馬寺の五月満月祭

葬儀からお骨拾い・前倒しの初七日の法要も終えたのが5日の夕方。GWということもあり、そのまま家に帰る気になれず、家族で京都の鞍馬寺に行きました。
五月満月祭(ウエサク祭)というのが行われているからです。鞍馬寺には行ったことがあり、ウエサク祭にはぜひ一度訪れてみたいと思っていました。この祭りは、仏陀が誕生し、悟りを開き、入滅した日がすべて五月の満月だったとされ、世界中でさまざまな祭典が行われます。また、鞍馬寺はあの世とこの世をつなぐ扉が開くと信じられ、天からのパワーが注ぐ場所らしいのです。
だから私は曹洞宗の教えにならって葬儀=仏陀の弟子入りにふさわしい場所に行きたいと思ったのでした。ウエサク祭はスピリチュアルな要素が強く、たくさんの人が集まる祭りですが、私たちが到着した時には祭典は終わり、ほとんどの人が帰る時間でした。それでも灯されたローソクが六芒星を囲むように並べられ、幻想的な雰囲気を楽しむことができました。家族はスピリチュアルに全く関心がないため、家族のレジャーとしてはまず行かない祭典です。このタイミングで以前より行きたかった場所に行けたのは父の導きかな、とも思います。

祭典が終わっても多くの人が炎の周りを囲んで思い思いに瞑想をされています

後悔しないために、最期にすること

父が亡くなったGWも終わり、日常が戻ってきました。まだまだやらなければならないことが山積みで、その中でも父の遺品整理が待っています。まずは施設から引き上げてきた荷物の整理から始めました。施設やデイサービスで撮った夏祭りや誕生日会の1コマには、いつも笑顔の父が映っています。
母は父を施設に入れたことを後悔していましたが、父はどこにいても「住めば都」と前向きに考える人でした。スタッフや入居中の人たちからも人気者だったことを、私は面会のたびに感じていました。誰だって最後まで慣れ親しんだ家で過ごしたいはずです。しかし進行性核上性麻痺のため家族の介護はむずかしいことを受け入れ、置かれた場所で楽しんでいる父の姿は本当に素晴らしいと思いました。
一方くよくよ思い悩む母。父が亡くなる3日ほど前に「お父さん、施設に入れたことを恨んでいるんじゃないかな。棺桶に入れる懺悔の手紙を書いてみたんやけど」と私に相談してきました。


話は変わりますが私は数年前、23年も一緒に過ごしてきた愛猫を亡くしました。子どものように可愛がっていたので、いつか亡くなった時はペットロスで苦しむことを予想していました。死に際は涙が止まりませんでしたが、火葬をしてお骨拾いをした後は意外にも思い出して泣くことはありません。それはきっとお世話をやりきったし、猫自身も生ききった(猫で23年はすごい高齢なんです)から、悔いが残らなかったのだろうと思います。

だからやり残した感のある母は、父が死んでから後悔の思いが強くなり、鬱状態になることも考えられます。幸い父はまだ生きています。「耳は聞こえているから、生きている間に、直接本人に手紙を読んで聞かせたら⁉」とアドバイスしました。母は迷ってましたが、翌朝にはタクシーを飛ばして無事に父に手紙を読んで聞かせたとのこと。もう反応もほとんど見られない父ですが、母の手紙の声に何か言いたげに表情が動いたそうです。母も「すっきりした」とのことで、生きている間に間に合って本当に良かったと思います。
もちろん私も反抗期だった頃のことを謝り、今までの感謝を伝えれました。
親が元気なうちは気恥ずかしく改まってそんなことは言えませんが、最期に気持ちを伝える時間を残してくれたことに感謝です。

条件を満たせば日本動物愛護協会から送られてくる表彰状と、死の数ヶ月前の愛猫

HSS型HSPは遺伝⁉ 育てられ方⁉

父の部屋を片付けていた時、たくさんの本が出てきました。趣味も多く、勉強熱心な父らしいです。処分する前に参考になりそうな本を持ち帰ろうと、ざっと目を通してみると自己啓発系の本がたくさん!
自信のつけ方や話し方、自己表現術、心理学、潜在意識の本なんかもあってびっくりです。初版と思われるフロイトの精神分析入門などもあります。

父は中学校の英語教師をしていましたが、人にとても気を遣う人で、おそらく繊細な性格です。例えば電車の切符売り場で幼い私が購入に手間取っていたら、後ろに人が並んでいることに焦った父にせかされて怒られたことを思い出します。普段はとても温厚ですが、怒るとちゃぶ台返しをするようなこともありました。
指導する立場なのに、実は人前で話すことが苦手で、話し方や自己表現術を学んでいたのかもしれません。そして優しくて自分の気持ちを押し殺すからなのか、いったんキレると人が変わったように怒ります。そんな偏りに、本人自身も悩んでいたのかもしれません。だから心理学や潜在意識に答えを求めていたのだと思います。
たぶん父も、刺激を求めるけど繊細で両極端が特徴的なHSS型HSPです。私はヨガインストラクターとして働くうちに、自分がHSS型HSPであることがわかってきました。情報過多の現代だから私は長年の悩みのなぞにたどり着けましたが、「繊細さん」などという言葉もなかった時代に生きた父は生きづらさも感じていたと思います。ただ最後はHSS型らしい「大胆不敵」な部分が出るのは私も一緒。悩んでも「まぁ何となる!」「えぃ、やー!」と吹っ切れるのです。

少しスピリチュアルな話になりますが、人間は魂の成長のために、何度も生まれ変わると言われています。たぶん父の人生最後の宿題は「人に不必要なまでの気遣いをせず、ありのままの自分をさらけ出す」だったのではないかと思うのです。だから最後の6年間を施設で過ごすことになったのかもしれません。他人におむつ交換や入浴の手伝いをしてもらうことは、たぶんめちゃくちゃ抵抗があったと思います。やがてそれも受け入れ、旅立った父。来世いつかどこかで出会えるのが楽しみです。

あちらの世界にいってまず聞かれることは「人生を楽しんできたか?」という質問らしいです。良い行いをしたか?、がんばったか?ではなくて。だから私も人生最後の宿題が不要になるぐらい、人に迷惑をかけたり、かけられたりしながら自分らしく今を楽しもうと思いました。父が最期に教えてくれたことです。

父の書斎から見つけた本。他にも自己啓発系の本がいっぱい出てきました
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この記事を書いた人

emaのアバター ema 夢をかなえるメンタルヘルスヨガコーチ

ヨガ的生き方でラッキーを引き寄せましょう~♪
HSS型HSP⇒ヨガと出会う⇒心身が変化⇒関西ゼクシィライター⇒結婚&育児⇒ヨガ講師デビュー⇒心療内科・学校施設・スポーツクラブ・自営教室で約10年のべ2万8千人にヨガ指導。
お読みいただき、ありがとうございました_(._.)_